僕はテクノロジーを崇拝している。テクノロジーは生活を便利にするだけでなく、より豊かで文化的なライフスタイルを可能にしてくれる。もちろん、あらゆる全ての問題を解決してくれるほど万能ではないし、時には人を傷つけることに利用されたりもする。しかし、享受してきたメリットに比べれれば、十分にお釣りがくると僕は自信を持って断言できる。 しかしながら、何でもかんでも自動化すればいいという風潮に単純には同意できない。手間をかけたほうがいいことだってたくさんあるのだ。そう。そのとおり。僕が言いたいのはトイレが自動的に流れる機能のことだ。

マイルス・デイビスがとある若いピアニストをバンドに参加させたことは、数多くのファンを驚愕させ、失望させた。なぜなら、その若きピアニスト、ビル・エバンスが白人だったからだ。1958年当時のアメリカ社会では、人種差別が色濃く残っていた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が「I have a dream」を演説したのは1963年のことだ。虐げられた人々は彼等の誇りであるブラックミュージックのバンドに白人がいることが許せなかった。ファンは言った。「お前は黒人の魂を売ったのか」と。

ギリシャ神話に登場するプリュギアのミダス王は、ロバの耳を持つことで有名だ。音楽対決における太陽神アポロン(オリンポスの神の上層部)の勝利に対し、周到な根回しも忖度もなしで堂々と異議を唱えたため、烈火の如く激怒された挙句、耳をロバの耳にされてしまったのだ。   それとは別にミダス王にはもう一つ有名なエピソードがある。あるときにベロベロに酔っ払ったおじさんを介抱したところ、彼が酒の神バッカス(オリンポスの神の上層部)の養父だったため、バッカスから感謝されたうえ「どんな報酬でも与えるよ。」と言われたので、「触れたものを全て黄金に変えてほしいっす。」という願いを聞き入れてもらえたのだ。 テンション上がったミダス王は身の回りのものをどんどん黄金に変えていくが、さて腹が減ったなと思いリンゴを手にした瞬間に自分の犯したミスに気づき始める。父に走り寄ってきた哀れな一人娘を抱き寄せ、彼女を黄金の塊に変えてしまったとき、ミダス王は自分の願いを激しく悔やみ、それから富を嫌悪するようになった。 この神話から導き出せる教訓は単純だ。「触れたものを全て、黄金に変えてほしいっす。」なんていうバカな願い事なんてするべきではなかった。「おまじないを言った後に触れた任意の無機物は全て、黄金に変えてほしいっす。」という願いをするべきだったのだ。 さらにおまじないも十分に気をつけるべきだ。「ゴールド!」みたいな単純すぎるおまじないだと、月曜日の仕事中iPhoneをみながら「リアルゴールド飲みたいな」と言った瞬間にiPhoneが黄金の塊になってしまい「おい!グラム当たりの市場価格的には十分にもとは取れて高い利益率は確保できるものの、保存したデータとか復活できるかどうかわからないし、今日一日携帯使えなくなって地味に不便じゃねーか!」という悲劇を生んでしまう。 単純でもなく、それでいて忘れることのない、おまじない。それさえあれば悲劇は未然に防ぐことができる。僕はミダス王のような過ちは犯さない。 「金に触れても怪我はしない。だが、もし手について離れないようなら、金は骨まで傷つける。」(ジョン・スチュアート・ミル) ...

僕は時々「なれなかった自分」について考えることがある。昔、自分が思い描いたような大人には残念ながらなれそうにない。

ファウストに限らず、あらゆる取引は全て悪魔の取引だ。それがどれほど小さい取引で、どれほどその影響を意識したかに関わらず、結果として得るものと失うものは、全て自分で背負わなければならない。音楽についてもそうだ。

現実的には全ての物事を二元論に還元する事は難しい。それが故に生じる曖昧さは、時に人を惑わせるが、同時に安心感を与える落とし所も提供する。形ある物体に裏と表を定義できるように、曖昧さとは、人々に妥協と調和を同時に与えるのだ。 epulorでは、CHIMAYというクラフトビールを置いている。スクールモン修道院で造られるトラピストビールだ。僕はこれを説明する時に、いつも迷う事がある。はたして、これはシマイだったか、それとも、シメイだったか。 その昔、僕が学生だった頃、放物線が近づくラインの事を漸近線と習った事がある。僕はその読みを、ぜんきんせんか、それとも、ざんきんせんか、うまく覚えられず、ざぇんきんせん、と発音していた。 CHIMAYについても、僕は曖昧に、しまぇい、と発音する事にしている。もちろん、世の中には、大抵の場合、ちゃんとした正解が存在し、それに従うべきだとう主張もよく理解できる。だが、ときに曖昧さを残して、調和をもたらす緩みも守る事があってもいいのではないだろうか。 僕は、はっきりした二元論を拒否するときは、知るべきを怠った怠慢だと解釈されても一向に構わないというはっきりとした意志を持って臨んでいる。したがって、epulor でCHIMAYを注文し、その読み方について糾弾したくなった時は、その事を覚えていてほしい。 曖昧さとは、解決あるいは回避すべき対象では必ずしもなく、一つの美徳として存在する事もあり、その美徳を守るために戦う人間もいるのだ。...