90年代後半のある年、僕は一浪の末、大学に合格し、念願の東京での一人暮らしを始めることができた。スピーカー(KENWOODのコンポ)は実家から持ってきたが、田舎の両親は一人暮らしの家具や家電を一通り購入してくれた。冷蔵庫、テレビ(ブラウン管)、ビデオ(VHS)は小さいものだったが、狭い一人暮らしの部屋にはちょうど良く、とてもありがたかった。だが、こればっかりは自分でお金をためて買わなければいけない、どうしても欲しいものがあった。それは、Technics SL-1200のターンテーブル(レコードプレーヤーを今でもターンテーブルというのだろうか)だった。

1990年代に10代前半から20代前半だった僕たちにとって、30年前の1960年代は遠い昔の話だった。白黒テレビに映るキング牧師の演説、ケネディ大統領、冷戦のピークを象徴するキューバ危機、長引くベトナム戦争、日本の高度経済成長を象徴する東京オリンピックの開催や新幹線の開通、学生運動、そして、絶頂期だったビートルズやローリング・ストーンズ。

舞台からみた観客

The Millenniumというバンドの『Begin』(1968)というアルバムがある。彼らの唯一のアルバム作品で、当時はそこまで話題にならなかったようだが、後に再評価され、1991年には日本盤CDも発売されている。僕は大学生のとき、地元の友人N(いずれ地元企業の社長になる)と電話で音楽の話をしていて、勧められたアルバムの一つとして購入したのを覚えている。のちになって購入した、小山田圭吾のTrattoria Recordsのコンピレーション『PREGO! 2001』(2001)の最初にもThe Millenniumの曲がセレクトされている(ちなみに最後の曲はBlurの『Tender』(1999)のCornelius Remixだった)。フリッパーズ・ギターの周辺から広がった音楽の趣味を辿っていくと、The MillenniumやRoger Nicholsなど、60年代のソフトロックに行きつく。地元の友人Nも当時そのようにたどり着いたのだろう。

90年代後半に大学生だった僕たちは、サークルなり合コンなりで初めて会った人には「どんな音楽聴いてるの?」と聞くのが、ほとんど挨拶代わりのやりとりだった。僕の答えはいつも「テクノ」だった(それで話が続かない場合には「あと、UKロック」と加えることもあった)。僕よりもっとマニアックに好きな人もかなり多かったはずだが、僕の周りにはテクノについて話せる友人は、まったくと言っていいほどいなかった。

1970年代後半生まれの僕は、90年代を10代前半から20代前半にかけて経験しており、その時代の音楽をリアルタイムの若く高い感度で聴いていたので、その頃の音楽に対する感覚をわりとよく覚えている。

 

恵比寿の少し薄暗いバーで一人ウィスキーを飲んでいると、ある時にレコードが変わり、ニーナ・シモンの曲が流れ始めました。それまで何か考え事をしていたはずだったのですが、まるで自分の意識が支配されたかのように、僕は彼女の歌声をしばらくの間じっくりと聴き入ってしまいました。

どれほど強固な普遍性を持っていると思われる正義であっても、程度の違いこそあれ、それはその場に限ったコンセンサスや約束事に過ぎない。支配していたものは、宗教かもしれないし、時代背景かもしれないし、偏屈な指導者が指さす方向性や単なるその場の空気なのかもしれない。あるいはアメリカの安全保障における国防省の意向かもしれない。いずれにせよ、起こったことに対する絶対的な正しさそれ自体は存在しない。正しさとは、結局のところ、それぞれ自分が考えて判断する領域なのだ。

都心では交通の便が良いのと、歩いていても大抵の場所で高い建物に視界がおおわれるがゆえに、大まかな地形を把握することは容易ではない。しかしながら、「名は体を表す」というように、地名には地形や歴史が残されている。渋谷という「谷」から宮益坂という「坂」を上ると青山という「山」にたどり着く。丸ノ内線で新宿から銀座に向かう地下鉄線が四谷駅付近で地上にでるのは四谷がその名の通り「谷」だからだ。

エッセンシャルワーカーの人々が実際にどのような人となりで、どのようなライフスタイルで生きているかを、とかく意識しないしないですむということは、それ自体幸福なのか不幸なのかはわからない。作品中に、主人公が言っていた通り、一つの世界が全ての人に共有されているように見えていても、実は無数に分断された世界がそれぞれの接点を最小化するように共存しているにすぎない。幸福か不幸かはわからないにせよ、人々が望んで実現された現実なんだろうとも思う。