地名と文化と経済について。代官山のこと、鎌倉のこと。

都心では交通の便が良いのと、歩いていても大抵の場所で高い建物に視界がおおわれるがゆえに、大まかな地形を把握することは容易ではない。しかしながら、「名は体を表す」というように、地名には地形や歴史が残されている。渋谷という「谷」から宮益坂という「坂」を上ると青山という「山」にたどり着く。丸ノ内線で新宿から銀座に向かう地下鉄線が四谷駅付近で地上にでるのは四谷がその名の通り「谷」だからだ。

代官山は、渋谷からも中目黒からも歩いていくには坂を上らなければならいちょっとした「山」になっている。付近に建物がまったくなかったとしたら、その高さが見上げてわかるほどになっていることだろう。この地名は江戸時代から記録があり、代官が所有する山林があったからだと言われている。現在は、やや高級で所謂おしゃれスポットのひとつとして認知されているが、駅の付近を歩くと空き物件がかなり目立つようになっている。いくばか寂しい気持ちにはなるが、それには地名ブランドが高まったゆえのジレンマが原因だと僕は思っている。

代官山に小規模な独立系のショップやギャラリーが開店し始めたのは1990年前後だそうだ。A.P.Cが国外初の店舗を代官山にオープンしたは1991年の事で、その頃の代官山には複合施設のようなものはなく、どちらかというとサブカルチャー的で独特な雰囲気をもっていた。もしかすると、渋谷の賃料では店を持つことができなかった若い人たちが、消去法的に選んだ場所だったのかもしれない。

注目され知名度が確立されてくると、資本力のある会社が複合施設を建設するようになる。わかりやすく人が集まるようになればなるほど、徐々にそういった施設が目立つようになった。誰であっても資本投下によって新規参入できること、人が集まりブランドが確立されることによって価値が上がっていくことは、開かれた経済にとって重要だ。だが、そこに灯っていた色のある文化的な要素が、味気ない何かに変わっていくのに憂う気持ちを持ってしまうのは僕が年を取ってしまったが故であろうか。僕よりももっと大人の人達も、失われていった街の記憶を微かに心にとどめつつ、なんとも言えない気持ちになっていた事だろう。文化はいつも経済に席をゆずらなければならないのだ。

現代は過去に増して難しい時代になったと思う。なんとなくおしゃれなスポットが便利な場所につくられても、それだけで人を集め続けるのは難しい。日本の人口が減少し、ネットやSNSでちょっとした情報でも隅々にまでひろがっているがゆえに、あらゆる評価は勝者総取り的で短期的に入れ替わっていくようになった。空き物件が目立つというのは、その結果を見せつけられているようで痛々しい。こうして、代官山が味気ないターミナル駅の小型版へゆっくりと棄損していくとしたら悲しい事だ。なぜなら、やはり僕はこの街が好きだからだ。

鎌倉市は2013年に苦しい財政費を何とか工面するために、「由比ガ浜海水浴場」「材木座海水浴場」「腰越海水浴場」についての命名権を一般に公募した。広告主に地名を売却することによって管理費用を調達するためだ。長年親しまれた名前が広告のために売り出されることに対して市民から反対の声があがってはいたものの、そのために特別な増税をしてもかまわないという訳にもいかなかった。結局、命名権は鳩サブレーで有名な地元企業でもある豊島屋が、10年間年額で1200万円で購入した。

だが、発表された新しい海水浴場の名前は「鳩サブレー海水浴場」ではなく、それぞれ「由比ガ浜海水浴場」「材木座海水浴場」「腰越海水浴場」だった。つまり元の名前を変えなかったのだ。「海水浴場のような公共的なものに命名権を設けることには違和感を感じていた」「一石を投じることができたとしたら光栄だ」というのが社長の話だそうだ。10年間名前を守った豊島屋に敬意を表してか10年後に鎌倉市は命名権自体を廃止することを決めた。

露骨な広告ネーミングにもせず、足して二で割る妥協点を見出すわけでもなく、元の名前を変えなかったことは、経済合理性の観点をサラッと無視しているようで最高にロックだと僕は思った。時代の流れを止めることはできないのせよ、守るべき何かに対しては、それがたとえ小さくても、自分なりのやり方で、それに抗うことを怠ってはならないと僕は思ったのだ。