僕はテクノロジーを崇拝している。テクノロジーは生活を便利にするだけでなく、より豊かで文化的なライフスタイルを可能にしてくれる。もちろん、あらゆる全ての問題を解決してくれるほど万能ではないし、時には人を傷つけることに利用されたりもする。しかし、享受してきたメリットに比べれれば、十分にお釣りがくると僕は自信を持って断言できる。 しかしながら、何でもかんでも自動化すればいいという風潮に単純には同意できない。手間をかけたほうがいいことだってたくさんあるのだ。そう。そのとおり。僕が言いたいのはトイレが自動的に流れる機能のことだ。

マイルス・デイビスがとある若いピアニストをバンドに参加させたことは、数多くのファンを驚愕させ、失望させた。なぜなら、その若きピアニスト、ビル・エバンスが白人だったからだ。1958年当時のアメリカ社会では、人種差別が色濃く残っていた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が「I have a dream」を演説したのは1963年のことだ。虐げられた人々は彼等の誇りであるブラックミュージックのバンドに白人がいることが許せなかった。ファンは言った。「お前は黒人の魂を売ったのか」と。

ギリシャ神話に登場するプリュギアのミダス王は、ロバの耳を持つことで有名だ。音楽対決における太陽神アポロン(オリンポスの神の上層部)の勝利に対し、周到な根回しも忖度もなしで堂々と異議を唱えたため、烈火の如く激怒された挙句、耳をロバの耳にされてしまったのだ。

僕は時々「なれなかった自分」について考えることがある。昔、自分が思い描いたような大人には残念ながらなれそうにない。

ファウストに限らず、あらゆる取引は全て悪魔の取引だ。それがどれほど小さい取引で、どれほどその影響を意識したかに関わらず、結果として得るものと失うものは、全て自分で背負わなければならない。音楽についてもそうだ。

現実的には全ての物事を二元論に還元する事は難しい。それが故に生じる曖昧さは、時に人を惑わせるが、同時に安心感を与える落とし所も提供する。形ある物体に裏と表を定義できるように、曖昧さとは、人々に妥協と調和を同時に与えるのだ。