マイルス・デイビスがとある若いピアニストをバンドに参加させたことは、数多くのファンを驚愕させ、失望させた。

マイルス・デイビスがとある若いピアニストをバンドに参加させたことは、数多くのファンを驚愕させ、失望させた。なぜなら、その若きピアニスト、ビル・エバンスが白人だったからだ。1958年当時のアメリカ社会では、人種差別が色濃く残っていた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が「I have a dream」を演説したのは1963年のことだ。虐げられた人々は彼等の誇りであるブラックミュージックのバンドに白人がいることが許せなかった。ファンは言った。「お前は黒人の魂を売ったのか」と。

 

それに対して、マイルス・デイビスはさらっと言い放った。「いいプレーをするんなら、肌が緑だろうが、赤い息を吐こうがバンドに入れるよ。」

彼に賛同し、自分も彼と同じように振る舞ったであろうと安易に思ってはいけない。彼は現代的なポリティカル・ライトネス実践しようとする正義感の強い人では決してなかった。むしろ、その逆と言っていいほどの問題児だった。エゴイストで、カネにはシビアで、ヘロインにどっぷりつかり、女性問題に事欠かなかった。彼がタブーを無視したのは、純粋に音楽のためだった。彼にはどうしても表現したい世界があり、タブーなんて取るに足らない些細な問題であって、世間の空気を読むなんてことにはさらさら興味がなかったのだ。

時代を変える人、あるいは変わろうとしている時代に一つの役割を与えられた人間には、常人が持ち得ない鋭い感性と同時に、常人がもっているある種の保守性を致命的に欠如することが必要なのかもしれない。

歴史とは、現代ではあまりに常識的で無意識に受け入れられているものと全く異なった背景が、その当時の人々にとって我々の今の常識に対する態度と全く同じように常識として捉えられており、それが何者かによる何かのきっかけにより大きく変容するプロセスの繰り返しだとしたら、ジャズの歴史にマイルス・デイビスは一人の優れた表現者以上の強烈な重要人物の一人として記録されなければならないだろう。幸運なことに彼等の作品やレコードされたリアルな演奏は今でも素晴らしい音で聴くことができる。とういことで、早くepulor来てね。笑