10月 27日 アナログレコードの魅力論考
90年代後半のある年、僕は一浪の末、大学に合格し、念願の東京での一人暮らしを始めることができた。スピーカー(KENWOODのコンポ)は実家から持ってきたが、田舎の両親は一人暮らしの家具や家電を一通り購入してくれた。冷蔵庫、テレビ(ブラウン管)、ビデオ(VHS)は小さいものだったが、狭い一人暮らしの部屋にはちょうど良く、とてもありがたかった。だが、こればっかりは自分でお金をためて買わなければいけない、どうしても欲しいものがあった。それは、Technics SL-1200のターンテーブル(レコードプレーヤーを今でもターンテーブルというのだろうか)だった。

僕はたまにレコード世代ですかと聞かれることがあるが、それには明確に違いますと答えている。僕たちの世代が音楽にお金を使うようになるころには、既にCDが普及していたので、地元のどこかでレコードが売っていたという記憶はない。家にはレコードプレーヤーはあったが、両親とも熱心に音楽を聴いていたわけではないので、ちゃんとしたレコードを見たのはかなり小さい頃のはずだ。だが、こういう別の言い方もできるかもしれない。僕らは選択的にレコードを買い始めた初めての世代なのではないかという事だ。
なぜ僕が、CDでも音楽が聴ける環境が整っているのにもかかわらず、わざわざ場所もかさむし不便なレコードを欲しがっていたのかには、それらしい理由があった。それは、テクノDJがしたかったのだ。有名なテクノミュージシャンは大抵DJとしてもプレーしていて、そのつなぎやMIXがかっこよくて、僕はそれをどうしてもやってみたかった。当時、CDJはそれほど普及しておらず、便利なノートPCのDJアプリもなかったので、DJはアナログレコードでやるのが一般的だった。絶妙なMIXもスピード調整も、ほとんどの人がアナログレコードを使って手動でやっていたのだ。
だが、のちに便利なCDJが一般に広く出回るようになっても、僕は何故か買い替える気持ちにならなかった。レコードには特有の魅力があったのだ。
その魅力の一つは、音質によるものかもしれない。CDなどのデジタル音源が音の波形を数値に変換して記録するのに対し、アナログレコードは音の波形を盤面の溝に刻み込む構造になっている。録音状態やカッティングなどによる音源の違いや音響システムにもよるが、レコードでしか感じられない音の良さを感じることもあるのは確かだ。実際に、音にこだわる人のなかには、手間をかけてでも好みの音響システムを構えてレコードで音楽を聴く人も多い。
ただ、レコードには、それだけでは説明できない魅力がある。ノエル・ギャラガーは、レコードジャケットは貧乏人のアートコレクションだというようなことを言っていたが、それも理由の一つかもしれない。CDにもジャケットがあるが、小さいという利便性と引き換えに、部屋に飾るアートとしては物足りない。数枚のレコードジャケットで、自身の音楽観という内面性を反映したかっこいい絵や写真を自分の部屋に飾ることができるというのは、魅力の一つともいえそうだ。インターネットでレコードを買うのが一般的ではなかった当時、渋谷でレコード袋を持って歩くというのは、ひとつのアクセサリーとしても機能していたかもしれない。
針を落として音楽を流すという手間のかかるプロセスが僕を魅了しているのかもしれない。そういう意味では、機械式時計の魅力にも近いのかもしれない。友人のU(アパートウエマのオーナー)は、手触り感というように表現していたと思うが、同じことをとらえて言っていたかもしれないし、僕の気づいていない別の何かも言いたかったのかもしれない。または、次に会ったときには、全く違うことを言いだすかもしれない。しかし、レコードの魅力の本質はそういった事にある気がする。
レコードには、どれほど多くの事を語ることができたとしても、その物質的な魅力のなかに、なお明晰に語りえない何かを孕んでいる気がする。自分には見えない次元のなかに、大事な何かが覆い隠されている気配がある。それが自らの観測や説明に宿る不完全性によるものなのか、あるいはそもそも語りえないものを語ろうとしているのか。その不確かさが、今もなお心のどこかにわだかまっている。そして、そのことが長い間、僕らの心をつかんでいるんじゃないかと思う。
CDの普及によって減少の一途を辿っていたレコードの売り上げは、2000年代後半から再び増加し始め、アメリカでは2022年に販売枚数でCDを逆転した。一部のオーディオマニアだけではなく、ストリーミング再生に慣れている若い人が、レコードを欲しがっているのは興味深い。僕が東京で一人暮らしを始めてから30年ほどの時間が過ぎ、数えてみたら10回も引越しをしている。最初の部屋にあったものは壊れたり陳腐化したりしてほとんど残っていないが、Technics SL-1200はあの頃と同じように僕の部屋で今も変わらず音楽を流している。