90年代リアルタイム世代からみたテクノミュージックについて

90年代後半に大学生だった僕たちは、サークルなり合コンなりで初めて会った人には「どんな音楽聴いてるの?」と聞くのが、ほとんど挨拶代わりのやりとりだった。僕の答えはいつも「テクノ」だった(それで話が続かない場合には「あと、UKロック」と加えることもあった)。僕よりもっとマニアックに好きな人もかなり多かったはずだが、僕の周りにはテクノについて話せる友人は、まったくと言っていいほどいなかった。

Windows 95が発売されて以降、インターネットはそれなりに普及していたが、SNSはおろか、2ちゃんねるでさえ登場するのは1999年である。ネットで知らない人とやりとりをして、そこから人と出会うということは、まだそれほど一般的ではなかった。人と人とのあいだに、リアルではないつながりができ始めたばかりの頃だった。だから僕は、テクノの情報を自分で集めるしかなかったのだ。

僕の情報源は、その種の本や雑誌を読むか、渋谷のCISCOテクノに行ってレコードを試聴することだった。野田努は、僕にとって渋谷陽一と同じくらい重要な人物だった。東急ハンズから少し奥に入ったところにあったCISCOテクノは、ネットでレコードを買えなかった当時の僕にとって、ほとんど唯一のレコード購入先だった。

西麻布YellowのLOOPAやCHAOSの定例イベントや、新宿LIQUIDROOMのスペシャルイベントにも、たいてい一人で行った。どんなに格好いい曲が流れても、Shazamはもちろん、写メすらなかった時代だ。そのときの盛り上がりですべてが精算され、曲名もわからないまま、二度と思い出すことのできない音楽がほとんどだった。

高校生だったピエール瀧が初めて石野卓球の家を訪れたとき、New Orderの「Blue Monday」を聴いて衝撃を受けたという話をしていたが、僕が聴いていたテクノの一つ一つも、僕に同じような衝撃を与えてくれた。Ken Ishiiの『Jelly Tones』(1995)、Squarepusherの『Feed Me Weird Things』(1996)、Luke Slaterの『Freek Funk』(1997)などは、みんなたまたま聴いたことがないだけで、一度聴きさえすれば、僕と同じようにみんなぶっ飛ぶはずだと本気で思っていたほどだ。

Derrick Mayの「Strings of Life」(1987)やAphex Twinの『Selected Ambient Works 85–92』(1992)など、僕にとって少し前のテクノも好きだった。TresorやWarpのコンピレーションを買い、Technasiaのレコードを聴き、僕は次第に、音をどんどん削ぎ落としていったミニマルテクノへ傾斜していった。

1988年から89年にかけて、イギリスのセカンド・サマー・オブ・ラブで、若者たちがアシッドハウスに熱狂していた。1989年7月には、まだ壁のあった西ベルリンで最初のラブパレードが開催された。同じ年の夏、フランシス・フクヤマは「歴史の終わり?」という論文を発表し、1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊した。

そうして1990年代ははじまった。

壁がなくなり、それまで隔てられていた東西の若者たちは自由に街を行き来するようになった。旧東ベルリンに残された空きビルや地下室や倉庫ではパーティーが開かれ、そこではデトロイトから渡ってきたテクノが鳴っていた。1991年には、旧東ベルリンの百貨店の地下金庫を利用したTresorがオープンする。デトロイトとベルリンはそこでつながり、ベルリンはやがて世界有数のテクノの街になっていった。

冷戦を象徴していた壁がなくなり、「歴史の終わり」が語られ、街では若者たちが、それまで聴いたことのない電子音に合わせて朝まで踊っていた。もちろん、それぞれの出来事に直接の因果関係があったわけではないのだろう。それでも、それらがほとんど同じ時期に起き、そこから始まった1990年代という時代が、僕のその後にかなり大きな影響を与えていったことは間違いない。

もちろん、その頃の僕は、小学生のときにテレビで見たベルリンの壁の崩壊と、それから何年もたって一人暮らしを始めた自分の狭い部屋や、タバコの煙が充満した西麻布のクラブで延々と流れるミニマルテクノとのあいだに、何かしらの関係があるなんて考えたこともなかった。