渋谷系を聴いて、僕が思い出すこと

The Millenniumというバンドの『Begin』(1968)というアルバムがある。彼らの唯一のアルバム作品で、当時はそこまで話題にならなかったようだが、後に再評価され、1991年には日本盤CDも発売されている。僕は大学生のとき、地元の友人N(いずれ地元企業の社長になる)と電話で音楽の話をしていて、勧められたアルバムの一つとして購入したのを覚えている。のちになって購入した、小山田圭吾のTrattoria Recordsのコンピレーション『PREGO! 2001』(2001)の最初にもThe Millenniumの曲がセレクトされている(ちなみに最後の曲はBlurの『Tender』(1999)のCornelius Remixだった)。フリッパーズ・ギターの周辺から広がった音楽の趣味を辿っていくと、The MillenniumやRoger Nicholsなど、60年代のソフトロックに行きつく。地元の友人Nも当時そのようにたどり着いたのだろう。


1991年にフリッパーズ・ギターは解散し、小沢健二と小山田圭吾はそれぞれ独立して活動することになる。90年代の小沢健二はオリコンチャート(これはもう死語であろうか)の常連で、テレビの音楽番組などにも頻繁に出ていたので、それほど音楽を知らない人にとっても有名人だった。一方、小山田圭吾やフリッパーズ・ギターを知っているかどうかには、少し違う意味があったように思う。彼らを好意的に知っていることが、渋谷系という音楽文化の内側と外側を分ける、一つの境界線だったような気がする。

僕にとって渋谷系は、フリッパーズ・ギター、ORIGINAL LOVE、ピチカート・ファイヴがメインで、フリッパーズ・ギターや小沢健二には、都会的で趣味の良い遊びの延長線にあるような、肩の力が抜けた音楽というイメージがあった。ORIGINAL LOVEも当時のテレビドラマの主題歌やCMに使われていたが、その乾いたクールな音楽は、それまで僕が聴いてきた日本のバンドの音とは一線を画しているように感じた。ピチカート・ファイヴはポップでありながらユニークで、カルチャー色の鮮明な現代性をもっていると僕は思っていた。

テクノが好きだった僕はCorneliusやTowa Teiもよく聴いていた。当時の僕は彼らをあまり渋谷系というカテゴリーでは認識していなかったが、今から振り返れば、これも渋谷系という大きな括りの中にあったと解釈できるのかもしれない。渋谷系は、僕が最も音楽を聴いていた時代の、好きな音楽のひとつだった。

その頃、僕らが友人たちとカラオケに行くと、ミスチルやスピッツは定番すぎるので、一部の人だけに理解されるカルチャー寄りの歌として、渋谷系の曲が選ばれたりもした。誰かが『今夜はブギー・バック』(1994)を歌おうとすれば、集団のなかにスチャダラパーのラップを買って出る人がたいていいたもので、周りを見渡して誰も進んで出ないときは、僕も何度かラップで引き立て役を引き受けたことがあったものだ。

当時、好きな音楽や知らなかった音楽を友人と共有するには、CDを貸し借りするのが一般的だった。誰かに勧められた音楽を聴くにも、CDを買うか、借りるかしなければならない。友人がどんな音楽を聴いているのかは、その人の部屋に並ぶCDを見れば、分かるものだった。音楽の趣味を通じて誰かと親しくなるには、CDというモノを介して、それなりの手間と時間が必要だった。

音楽好きな男の子の部屋に遊びに来た女の子は、帰る前に部屋に並ぶCDを眺めたあと、「おすすめのCD貸して?」と彼に尋ねる。でも、その本当の意味は、あなたにまた会いたいけど、また電話してくれるか不安、だから確かなつながりがほしい、CDを返す約束は会える約束と同じ、だからあなたの好きなCDを私に貸してほしい、ということだった。彼女が家に帰って一人で流す音楽の、部屋の中にそっと置かれるCDケースの、そこに秘められた特別な意味は、今もどこかに残っているのだろうか。

あれから時は流れた2016年、僕が40歳間近になったときに、FacebookでBEAMS40周年の動画が広まった。BEAMSがオープンした1976年から2016年までのTokyo Culture Storyを、約5分の動画にまとめたものだ。

そこには確かに存在したはずの、かつて夢中になったはずのものたちが、次々と現れては風のように通り過ぎ、何事もなかったかのように新しいものに移り変わっていく。その様を見ていると、儚くも懐かしい気持ちになったものだ。そこに流れる音楽が、『今夜はブギー・バック』であることがなんとも言えず、僕はその動画を何度も流したものだ。