1月 05日 シュペートブルグンダーの言葉が帯びる形而上学的色彩
ソムリエ界隈の閉ざされた世界おいて、ドイツのピノノアールはピノノワールと説明してはカッコ悪いという、不思議な常識が成り立っている。ドイツのピノノワールはシュペートブルグンダーと説明しなくてはいけない。所謂、ピノノワールだと後から回り道で説明する必要があったとしても、シュペートブルグンダーと声に出して言わなくてはいけないのだ。
ピノノワールの音の響きは甘美でやわらかく、優雅なフランスのサロン的な音の趣きがあるが、同じぶどうであるはずのものをドイツ語でシュペートブルグンダーと発音すると、形而上学的色彩を帯びるから不思議だ。ワインを説明する際も、弁証法的論調で説明するのがふさわしいのではないだろうか。
すいている店内に気難しそうにコーヒーを飲んでいた老人が、僕に声をかけ、追加の赤ワインを注文する。流れるレコードはバッハ。チェロの音色が空間に荘厳さをまとう。僕はこれでもかと難しい顔をしながらシュペートブルグンダーを勧める。
「優雅さと複雑さ。いささか相反しそうな二つの概念を併せ持つワインでございます。シュペートブルグンダー。」
ここで、いったん声を止める。耳には必然的にチェロの音色が響く。
「ただ、どんなワインをもってしても、不完全なテーゼの繰り返しです。とりもなおざず、永劫回帰とは解決しえない相反性の繰り返しの事の事を意味しているのかもしませんね。作り手はきっと、このバランスの危うさ意図していると思います。少し面白いワインですよ。」
そこで初めてマスク越しでもわかる笑顔を見せる。
よし。妄想まではうまくいっているぞ。あとは気難しそうな老人が来客するのを待つだけだ。