1月 18日 music barオーナーが考える、結局、音がいいとは何なのか?そもそも音とは何なのか?
同じ音楽でも、いい音響で聴くと、その感動が大きく変わる。心の中には人それぞれ感度のセンサーがあるものだが、一定のレベルを超える音響になると、それが非連続な昇華となり、人の心を揺さぶる。音楽好きの人には、ぜひとも経験してほしい瞬間だ。
だが、音の良さの表現については、人によってかなり曖昧になる。オーディオ好きの人が言う、硬い音、柔らかい音、管楽器が鳴る、クラシック向き、ジャズ向き、、というのは、理解はできるが、人によっていいかげんで、言うことや評価が変わる。クラシックはタンノイ、ジャズはJBLというのは本当だろうか。誰か言ったことを皆が受け売りしてるだけではないのだろうか?そこで、僕は音楽の音の良さについて、もう少し体系的に整理したいと思う。
ということで、まず音楽を構成する”音”そのものについて述べてみたい。
世界は、音と色の立体的な集合体で構成されていて、僕たちの目や耳がセンサーとしてそれを感知し、頭の中で解釈されることにより意味づけされる。色が光の波形で表現されるように、音は空気を媒体とした弾性派、つまり音波で表現される。
音の三要素とは、音の高さ、音の大きさ、音色だ。 それぞれ、音波でいうところの波長(=音速/周波数)、音波の振幅、波形にあたる。一般論ではそう言われているが、率直に言って、そもそも僕はそれが正しい要素分解とは思わない。音の二要素は音の高さと、音の大きさであるべきだ。そしてその組み合わせで音色が決まるというのがすっきりいく。
音波に限らず、全ての時間関数はフーリエ変換によって、正弦波の和に分解できる。正弦波は、サイン、コサインの三角関数のことだ。一つの波長をもつ正弦波の音はいわば音を構成する原子のようなものだ。その原子の複雑な組み合わせである分子に相当するのが、僕たちが一つの音と認知するものだ。ちなみに正弦波の音は、この自然界には存在し得ない機械音のような音で、直感には合わないが、全ての音は、この組み合わせによって、表現することができる。
一つの音の主なる波は基音と言われていて、その音の音域、つまり音の高低を決める。同じドの音を出しているかは、これにより決まる。同じ音域、同じドの音でも、音を出すものによって聞こえ方は異なる。トランペットの音と、ピアノの音と、人の声とを聞き分けられない人はいないだろう。その音色を決めているのが倍音と言われていて、複雑な波の組み合わせによって表現される。クラシックもダンスミュージックも人の声も川のせせらぎも、全てはこの音の組み合わせであり、音波で表現されるのだ。
ところで、人の可聴領域は、周波数20Hzから20kHzと言われている。低音すぎても、高音すぎても人には聴こえなくなる。もちろん、これは視力と同様、人によって異り、加齢により狭くなっていく。ちなみに光も人が視覚できる可視光線はある一定に限られていて、波長が短くなると人の目に見えない紫外線になり、放射能になる。逆に長くなると赤外線にになり電波になる。じつは放射能も紫外線も赤外線も可視光線も電波も、同じ光で波長(=光速/周波数)だけが違うのだ。
スピーカー等で再生できる周波数の幅が大きくなると、再生できる音の音域が広がるので、ほかの条件が同じならば、単純に音が良くなったと感じる。基音の幅が一定の周波数の範囲に収まっていたとしても、倍音で再生される幅が狭くなることによって音色が表現されなくなるので注意が必要だ。再生される音がずっと低音域であっても、再生域が高音域が広がることによって、倍音が表現されることにより、音色が正しく表現され、美しく聴こえるようになるのだ。
では、音の良さとは、スピーカーの再生できる周波数の幅のみで決まるのだろうか?残念がら話はそこまで単純ではない。
(つづく)