そうめんを食べながら谷崎潤一郎を読む。小説と料理のマリアージュについて

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角かどが立つ。情に棹させば流される。意地をとおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

夏目漱石『草枕』の有名な冒頭部分の文章だ。ほれぼれするほど美しい。同じ趣旨の内容を考える人がいたとしても、このように美しい文章で表現することは難しい。真に優れた作家は、そのストーリーもさることながら、表現する美しい文章を綴るものとしても、優れた表現者なのだ。

文章の美しさとは、料理のおいしさに似ている、と僕は思う。刺身のおいしさと、ボロネーゼのおいしさを単純比較することは難しい。でも、お刺身もボロネーゼも、優れた料理人によって細部にこだわって表現された料理は、それを味わう僕たちに、それぞれ感動や余韻を与えてくれる。文章もそれと同じなのだ。

夏目漱石は、焼き魚、それも青魚の塩焼きを彷彿させる。なんというか、シンプルに感じさせて、香りも味わいも強く、ものによってはクセもある。逆説的だが、洗練された無骨さ、といってもいいかもしれない。夏目漱石の文庫を読み終えた後、その余韻を感じながら味わう焼き魚定食は、文章も料理もいっそう味わい深いものになりそうだ。

谷崎潤一郎は、そうめん、がよく合いそうだ。それには香り高いつゆは外せない。『細雪』でときおりある関西の言葉で語られる長い文章は、香り高く、するすると心地よく身体の中に入ってくる。彼のもっとも有名な作品の一つでもある『陰影礼賛』でもあるような、薄暗い場所で静かに食べるとより一層その繊細さが際立つのではないだろうか。

村上春樹は、ハンバーガーがしっくりくる。複雑で味わい深く、どことなくジャンキーで中毒性のある文章だ。ストーリーの中にでてくる料理や、ジャズやクラシック音楽、ウィスキーのオンザロックというよりも、もっと強く刺激のある料理が合うのではないか。なじみのない有名店のハンバーガーを食べるときに持っていく本としてうってつけだ。

ワインにはマリアージュという概念がある。素晴らしい組み合わせはワインも料理もお互いを高めあうことができる。もちろん、それはワインと料理の関係にとどまらない。小説も音楽もお酒も料理も空間も、素晴らしい組み合わせは、それぞれがそれぞれを高め合う。次に読む小説は、どんなお酒と音楽と料理にあうだろうか。

「お魚には白ワイン、お肉には赤ワイン、恋にはシャンパーニュね。」
オードリー・ヘプバーン(映画: 昼下がりの情事)