8月 20日 僕はこれまでの人生で一度だけ壁ドンをしたことがある。
僕はこれまでの人生で一度だけ壁ドンをしたことがある。その話をする前に、電車における秩序について話さなければならない。
混雑する電車の中においては、目的地につくまでの間、お互い他人同士として、ストレスを最小限にするためのささやかな努力が必要だ。動き回ったり、電話で大声で通話したり、大音量で音楽を聞くはもちろん避けるべきだが、最も基本的な紳士協定は、顔を近づけすぎないことだろう。
混んだ電車の中で立つ人は、無意識に窓側に顔を向ける。ちょうど真ん中あたりで背を向き合えば、お互いに顔が近づくことはない。見ず知らずに人と顔を近づけすぎるのは誰にとってもストレスなので、それは、その確率を最小化するために、人々が自然に身につけた社会的行動様式の一つなんだと思う。
ところが、困ったことにドアを背もたれ代わりにする人が増えだした。おそらくスマホゲームの普及が原因なんだと思う。それゆえその近くの人はその人に背を向ける必要があり、窓側に顔を向けるという秩序が最近乱れ始めてしまった。混雑した車内においてもゲームを優先する人が増えたがゆえに、社会的秩序が崩れてしまったのだ。
僕はそれに対抗すべく、ドアを背もたれにする人に対しては、堂々と顔を向けることにしている。僕と顔が近づくのはストレスかな?だったら背を向けるのは君のほうだよ。そんな感じだ。大抵の人は、うわっ、なんだこいつ、みたいな感じで渋々ドア側を向くか横を向くようになるが、一人だけ堂々と姿勢を変えないおじさんがいた。
その人は背格好が僕と近いので顔と顔がかなり近い距離だったが、彼は姿勢を変えないままドアを背もたれにしながらスマホで何かをし続けている。まじかーと思いながらも僕はひるまずに彼と対面した。すると突然電車が揺れ、僕はドア側に押される形になった。やばい、キスしてしまう、というところで、僕はついに壁ドンをした。僕の壁ドンに驚いた彼は顔をそむけるようにして体を横に向き直した。
社会的秩序を守るための自己犠牲は厭わないが、その犠牲は自分自身の努力によって必要最低限にしなければならない。ゆえに僕は壁ドンという奥の手をもつ。