僕は若いシンガーソングライターのラブソングを聴くことができなくなった

いつからだろう。僕は若いシンガーソングライターのラブソングを聴くことができなくなった 。聴いていて、どうしても恥ずかしくなってしまうのだ。

 

あんなに傷つけてしまったね、うぉうぉー、
でも今なら言えるさ、べいべー、
誰よりも好きさ、うぉうぉー、
ずっと忘れないよ、べいべー、
もしまた君に会えることができたら、うぉうぉー、
たとえ何があっても、べいべー、
たとえ雨が降っても、うぉうぉー、
たとえ月曜日でも、べいべー、
君を迎えに行くのさ、うぉうぉー、べいべー、
君を迎えに行くのさ、うぉうぉー、べいべー、

かくいう僕も昔からずっと冷めたおじさんだったわけではないので、若者の抑圧された気持ちを表現したいという想いを理解できないわけではない。逆に、だからこそ、恥ずかしい気持ちになってしまうのだ。誤解のないように言うが、僕は「若い君たちの事は理解できる、君たちも大人になればわかるさ、成熟とはそういった経験を通じて云々・・」と訳知り顔をしたいわけではない。逆に僕は恐れているのだ。ロックを失うとはこういうことではないのかと。

僕たちがまだ学生の頃、カラオケで熱唱した歌に対して、ロックを忘れた当時の大人たちは、ちょうど今の僕のように冷めた目で僕たちを見ていたのだろうか。あのとき、自分たちの理解者ではなかった大人たちはきっといた。そして、数十年たった今、あろう事か僕もそこに成り下がってしまったのだ。

僕は、自分の経験を過大評価して、昔の歌は良かったなどと言うほど、視野の狭い人間ではないと思っている。おそらく変わったのは、歌でもなく、時代ではなく、僕自身なのだ。僕はどうやら年をとってしまったのだ。そしてロックを忘れてしまった。忘れちまったのさー、うぉうぉー、べいべー