壁の絵は僕らを見ている。

epulor のアートギャラリーでは、現在、目をテーマにした絵が飾られている。

 

その中でも、カウンターの内側から見える壁側の真ん中、歌舞伎の隈取を彷彿させる大きな絵が印象的だ。それを見ると僕はフィッツジェラルドの「グレートギャッツビー」にでてくる看板の絵のことを思い出す。
それは、目の部分だけをトリミングした巨大な眼科医の看板だが、閉業したあとも置き去りにされ、古くなり、陰鬱さを帯びながら、街のモニュメントとなっている。
物語を通じて詳細に描写され、重要な事件も「目撃」するが、決して何も語らない、全てを見通す神の目。浮かれた時代の浮かれた人々は、その鋭い眼差しによって全てを見透かされていたのだ。
好景気に浮かれた1920年代のアメリカを冷めた目で見る事が出来るのは、僕らそこから距離をおいているからに他ならない。時代性に限らず、近すぎるものほど正しく「見る」ことも評価することも難しい。だが、いずれかの段階で、何かによって、評価される。僕らはいつも何かに見られてるのだ。
壁の絵は僕らを見ている。何もかも全てだ。マグカップで水を飲んでるふりしてビールを飲んでいる事、ワインの味見のフリして頻繁に飲んでいる事、カウンターの中でスマホであんなことやこんな事を調べている事。僕の全ては、あの絵に何もかも目撃されているのだ。
という事で、相楽三喜郎「お目々アート」展は5月末までです。興味のある方は中目黒epulor までお越しください。。