飲み物のもつ雰囲気とコーヒーが放つ残像性について

それぞれの飲み物には、それぞれのキャラクターがあり、それがそこにあるだけで、その場面にほんの少しだけ特別な彩りを与える事がある。

 

コーラにはロックンロールな、シャンパンにはキラキラ系な、ワインには貴族的な、ウィスキーにはダンディーな、ギムレットにはハードボイルドなオーラを周りに放つ。僕がバーでギムレットを頼むときは、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説「ロング・グッドバイ」の主人公フィリップ・マーロウに完全になりきっている。もし、僕が明るい時間の乾杯からギムレットを頼んだときに「おいおい、いきなりかよ?ギムレットには早すぎじゃね?」みたいな事をいわれたならば、僕は不敵な笑みを見せるにちがいない。

ところで、コーヒーはどんな雰囲気を放つことになるのだろうか。

男性的でもあり、女性的でもあり、どことなく文化的で、色や香りや苦味のもつ陰影なイメージは、様々なシーンにおいて高い親和性をもちながらも、手触り感のある一定の重みを持つ。カップに残った冷めて温くなったコーヒーは、その人がつい先程までそこにいたという強い余韻を残す。まるでオーケストラの演奏が鳴り止んだ直後の静寂のように、残された残像には強い存在感が残ることもあるのだ。

とあるニュースの特集で、交通事故で娘を失った夫婦が取材されていた。その夫婦は亡くなった娘の部屋を片付ける事なくそのまま残すことにした。娘をなくしてしばらくたったあとに、母親が部屋に入り電源の入ったままのCDラジカセに気づき、その電源を消そうとしたが、母親はその電源をどうしても消すことができなかった。娘は確かにここに存在して、音楽を聞くためにこの電源をいれたんだと思うと、電源を消す事でその残像が消えてしまいそうで、それは彼女にとってあまりにも耐え難かったのだ。

そのような残像が、あなたにもあるはずだ。消したくても消すことができない残像かもしれないし、あるいはどうしても消したくはない残像かもしれない。日常生活の中では向き合うことが難しいかもしれないが、それはあなたには特別で大切な残像のはずだ。

それらの残像について考えるには、一人で音楽を聞きながらコーヒーを飲むというのは悪い選択ではないかもしれません。ということで、中目黒epulorでお待ちしております。。